大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(ワ)8515号 判決

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  請求原因1の事実(当事者)は当事者間に争いがない。

二  靖弘の死亡に至る経緯について

請求原因2の冒頭の事実及び同(一)の事実並びに同(二)の事実のうち、昭和六〇年一月一五日午前、被告が靖弘に点滴を施行したところ、その途中で、同人が腹痛を訴えたこと、翌一六日午前七時三〇分の時点では、同人が腹痛はあまり訴えなくなり、同日、少量で固い排便があつたほか、夜間の見回りでも異常がなかつたこと、同月一七日午前七時三〇分には、同人の腹痛はなく、午前中、被告が点滴を施行したこと、同月一八日早朝、被告が回診したところ、靖弘の腹痛はなかつたため、バリウムの検査をする旨を告げ、午前中に胸部X線撮影及び胃・腸のX線撮影をし、また、入院時の尿潜血が三+であり、一か月前にも血尿があつたとのことから、尿検査及び尿細胞診を施行したこと、同日午後には被告が点滴を施行し、靖弘は腹痛はほとんどなく、食欲も出てきていたこと、同月一九日午前七時三〇分、被告が回診したところ、靖弘は腹痛もなく、特に訴えもなかつたので、前日のX線撮影の結果を伝え、同日午前中に点滴を施行したこと、同月二一日に尿検査を施行したこと、同月二二日には、靖弘の腹痛はなく、食欲も旺盛となつていたこと、同月二三日の午前中に点滴を施行したこと、同月二四日早朝、靖弘が被告医院内で死亡していたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実と、《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

1  靖弘は、昭和六〇年一月一三日から腹痛、吐き気、嘔吐、下痢等の症状があつたため、翌一四日午前七時四五分ころ、被告医院に来院し、被告の診察を受けた。来院時における靖弘の所見は、体温三五・七度で、来院前には吐き気、嘔吐があつたが、来院時には腹痛のみを主訴とするものであつた。被告は、靖弘に既往歴を確認したところ、腎結石の手術をしたことがある旨の回答があり、また、胸部の聴診、腹部の聴診、触診によつては特段の異常所見は認められなかつたため、とりあえず、急性腹症と診断した。また、靖弘の血圧は収縮期一四六、拡張期一〇〇であつたため、拡張期について高血圧症が認められ、収縮期の血圧も多少高いと判断したが、特に治療を要しないと考え、この点の治療はしなかつた(なお、靖弘の血圧は、その後もほぼ同様な数値で推移し顕著な変化は認められなかつた。)。そこで、被告は、靖弘に対し、五パーセントブドウ糖液二〇ミリリットル及び鎮痛剤ブスコパン一Aを静注し、また、輸液剤プラスアミノ五〇〇ミリリットル、セフェム系の抗生物質ヤマテタン一グラム及びブスコパン一Aを約一時間半で点滴静注した(なお、点滴については、その後も五〇〇ミリリットルの量を一時間半ないし二時間で施行した。)。その際、被告は、聴診で心音に異常がなく、脈拍数も七〇前後で、血圧も前記のとおりであつて、特に靖弘の心臓への負担を考慮する必要はないと判断した。被告は、その後、靖弘の様子を見たが、改善しなかつたため、鎮痛消炎剤ペンタジン一五ミリグラムを注射した。また、原告志保子は、被告に対し、靖弘は、一か月前に血便、血尿があつたため、よく調べて欲しい旨伝え、また、昭和五九年四月に訴外安田病院において心電図検査等を受け、高血圧症及び冠硬化症と診断されていたため、心臓等についても調べて欲しい旨申し出た。

被告は、靖弘に対し、血液検査を施行した後、主として腹痛の治療と血尿、血便の原因に関する検査を行うことを目的とし、さらに、心臓等の検査を行うことも念頭において同人を被告医院に入院させた上、パンタス三T、チアトン三C、ベンサリン一T一日分を処方した。その後、靖弘の腹痛はそれほど強くなく、あまり訴えもなかつたし、午後、夜間とも自制可能であつたため、特段の処置はしなかつた。また、被告は、靖弘の血尿の原因としては、癌、尿管結石、腎臓結石等が、血便の原因としては、潰瘍性大腸炎等が疑われると考え、同日、尿検査及び尿細胞診(腎臓、尿管、膀胱等の悪性腫瘍細胞の有無を調べる検査)を施行した。

2  被告は、靖弘に対し、同月一五日午前、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行したところ、その途中で同人が腹痛を訴えたため、五パーセントブドウ糖液二〇ミリリットル及びブスコパン一Aを静注したがあまり改善せず、三〇分程後にペンタジン一五ミリグラム一Aを注射したところ、改善がみられた。また、靖弘は、点滴を始めて間もなく、気分が悪くなり、その旨被告に訴えたことがあつたが、被告は、プラスアミノを点滴した場合、人によつて気分が悪くなることがあるので、それによるものと判断した。午後には、腹部の透視と単純撮影を施行したが異常は認められず、夜間も靖弘からの訴えはなかつた。

同月一六日午前七時三〇分ころには、靖弘は、腹痛をあまり訴えなくなり、同日午前九時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットルとヤマテタン一グラムの点滴を施行した。また、少量で固い排便があり、プルセント二T、ソルベン二Tを処方した。午後九時ないし九時三〇分ころの見回りでも異常はなかつた。さらに、一四日の血液検査(血算)の結果、正常値が四〇〇〇ないし八〇〇〇である白血球数が一万二二〇〇であり、白血球の増加が認められたため、被告は、靖弘の病名を細菌性の急性胃腸炎と診断し、また、同日の尿検査の結果、蛋白定性、糖定性及び潜血がいずれも三+であつたことが判明したため、腎結石、尿管結石、膀胱炎、癌等の疑いがあると診断した。

同月一七日午前七時三〇分ころには、靖弘の腹痛はなくなり、空腹感もあつた。午前九時四〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットルとヤマテタン一グラムの点滴を施行し、パンタス三T、ベリチーム三・〇、マースレンS二・〇を三日分処方した。また、一日中、靖弘からの訴えはなかつた。

3  同月一八日午前七時三〇分ころ、被告が回診し、腹痛がなかつたため、造影剤のバリウムを使用してのX線撮影検査をする旨を告げ、午前八時三〇分ころ、胸部X線撮影及び胃・腸のX線撮影を施行した。胃・腸のX線撮影の結果、癌の疑いその他の異常は認められなかつた。胸部X線撮影の結果では、正常値四五パーセントから五五パーセントの心胸郭比が五〇パーセント程度であり、心臓に軽度の肥大が認められたが、血圧が高いことに比して顕著なものではなかつたし、心臓陰影の拡大と肺血管陰影の増強は特に認められなかつた。また、入院時の尿潜血が三+であり、一か月前にも血尿があつたとのことから、尿検査及び尿細胞診を施行し、さらに、午後一時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。靖弘は、腹痛もほとんどなく、食欲も出てきており、午前零時の回診でも異常はなかつた。

同月一九日午前七時三〇分ころ、被告が回診したところ、腹痛もなく、特に訴えもなかつたので、前日のX線撮影の結果を伝え、午前九時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。被告は、靖弘に特別な変化も訴えもなく、入院の原因となつた疾患についてはかなり改善しているものと判断したが、入院時の尿検査の結果、蛋白定性、糖定性及び潜血がいずれも三+であつたことから、これらにつきもう少し検査する必要がある旨伝えた。その後も終日著しい変化はなかつた。

同月二〇日午前七時三〇分ころ、被告が回診したが、特に訴えもなく、腹部症状もなかつた。同日午前九時四〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。

4  同月二一日午前七時三〇分ころ、被告が回診したが、訴えはなかつた。その際、血算、尿検査及び尿細胞診の再検査をし、腎結石、尿管結石、膀胱炎、癌等の疑いがあると判断されたことから、同日午前八時三〇分経静脈性腎盂撮影(DIP、プログラフィンを点滴静注して腎盂のレントゲン撮影を行う検査)を施行した。その結果、ガス像が多くはつきりしなかつたものの、腎・尿管に結石はないものと思われた。一八日に施行した尿細胞診の結果は、陰性で多少の異型性を認めるが悪性の疑いはないというものであつた。血算の結果、白血球数は六六〇〇と改善した。午後一時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。

被告は、同月二二日午前七時三〇分ころ回診し、血糖前値採血をし、さらに、八時三〇分にトレランG五〇グラムを服用させて、三〇分、六〇分、一二〇分と採血した結果、血糖値は、前値が一〇四mg/dl(以下、血糖値はこの単位による。)、三〇分で一五一、六〇分で一九〇、一二〇分で九〇であり、必ずしも糖尿病とはいえない結果であつた。同日も靖弘に腹痛はなく、食欲も旺盛となつていたが、午後一時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。

5  同月二三日は、朝の回診時にも訴えはなく、異常所見も認められなかつた。午前九時三〇分ころから、プラスアミノ五〇〇ミリリットル及びヤマテタン一グラムの点滴を施行した。被告は、午後九時ころの回診時にそろそろ退院してよい旨伝え、さらに、午前零時に回診したときは睡眠中のように見えた。また、同日から翌二四日にかけては、被告が被告病院において当直勤務をしていたが特に靖弘からの訴えなどはなかつた。

6  同月二四日午前七時三〇分ころ、被告が回診に行つたところ、靖弘は一見すると睡眠中のようであつたが、近づいて見て既に死亡している様子であることに気づき、同人に対し、心マッサージを開始し、蘇生剤ボスミン二Aを心注し、三〇分ほどマッサージを続けたが、改善の兆しは見られず、同人の死亡していることが確認された。

なお、二一日に施行された尿細胞診の結果は、前回と同様、陰性で多少の異型性を認めるが悪性の疑いはないというものであることが判明し、また、腎臓機能に関しては、この間、特に浮腫も認められず、尿検査の結果では、尿蛋白は一過性に認められたものの尿比重は正常であり、血液検査の結果でも、尿素窒素、クレアチニン、電解質はいずれも正常範囲であつて、特に異常は認められなかつた。

《証拠判断略》

三  靖弘の死亡原因について

1  《証拠略》によれば、靖弘の死亡当日に行われた東京医科歯科大学病理学教室による剖検診断の結果、同人には、虚血性心筋症を伴つた高血圧性心肥大、石炭化を伴つた中等度ないし高度の冠状動脈の硬化、狭窄、心筋の瘢痕創、わずかな気腫性変化を伴つた両側肺の高度のうつ血及び水腫等の所見があつたが、明らかな心筋梗塞や突然死の原因に関する他の変化は認められず、また、脳の状況については解剖していないため不明であつたことが認められる。

2  前記二及び三の1で認定した臨床経過、剖検所見及び鑑定の結果によれば、以下に認定、説示するとおり、靖弘の死亡原因は、急激に発症した重篤な頻脈性不整脈による突然死であると認めるのが相当である。

(一)  いわゆる突然死とは、発症から二四時間以内の予期し得ない内因性(殺人、自殺、事故死、毒物死等を除く意である。)の死亡をいうが、本件において、靖弘の死亡は、その直接原因の発生から死亡までに要した時間が、最も長くみても昭和六〇年一月二三日午後九時の被告の回診時から、翌二四日午前七時三〇分の靖弘の死亡発見時までの一〇時間三〇分にすぎず、またその死亡原因は内因性のものと認められるから、突然死に該当する。

(二)  ところで、突然死の原因としては、心疾患に由来するもののほか、頭蓋内疾患に由来するもの、呼吸器系疾患に由来するもの、消化器泌尿器系疾患に由来するものなどが考えられるが、剖検結果からすれば、突然死の原因となる大動脈瘤破裂、食道静脈瘤破裂などによる大出血及び解離性大動脈瘤破裂による心タンポナーデなどは除外することができる。また、頭蓋内疾患の可能性についてみるに、脳内出血の多くの場合は頭痛、悪心、嘔吐などの症状を訴えることが多いのであるが、本件においては、前示のとおり頭部の解剖が行われていないため、そのような症状を伴わない頭蓋内疾患、特に脳幹部出血の可能性を原因から明白に除去することはできないし、睡眠中の無呼吸発作による突然死の可能性も否定できない。しかしながら、靖弘が原因発生による症状を訴える余裕もなく死亡していることからして、原因発生時点から極めて短時間に死亡したものと認められるところ、このような臨床像からは、突然発生した重篤な頻脈性不整脈すなわち心室細動あるいは心室頻拍に引き続く心室細動による死亡が最も考えられ易いところである。また、剖検所見において冠状動脈に高度の狭窄、高度の心臓肥大と虚血性心筋症が認められており、このような場合には、重篤な不整脈の発生又は心筋梗塞の発生の可能性があるし、また、心筋梗塞が発生した際には、それに引き続いて重篤な不整脈が発生することも考えられる。そして、重篤な不整脈には、前記頻脈性不整脈と徐脈性不整脈すなわち刺激伝導系の障害により脈の数が極端に少なくなる房室ブロック、洞不全症候群などがあるが、後者の場合は、前もつて、めまい、ふらつきなどの脳虚血症状や息切れなどを訴えることが多く、本件の場合はそのような前駆症状の訴えられた形跡はないから、前者の頻脈性不整脈である可能性が強いと考えられる。また、重篤な不整脈の誘発に至らない心筋梗塞による死亡の場合には、それは心不全によるものであり、胸痛や胸内苦悶を訴える時間的余裕があることが多いから、本件がこのような場合である可能性は少ない。さらに、剖検において心筋の壊死像及び冠状動脈血栓を欠くことは重篤な不整脈による死亡と矛盾しないし、他に靖弘の死亡原因を重篤な頻脈性不整脈とすることと矛盾する所見は特に認められない。

(三)  他方、原告らが主張するように、被告による点滴静注も靖弘の死亡の原因となつたといえるか否かについてみるに、まず、本件において靖弘に対する点滴に使用された輸液剤プラスアミノは、ブドウ糖液にアミノ酸剤が含まれた栄養補給剤であり、禁忌となるのは肝性昏睡や重篤な腎障害の場合であり、本件において輸液剤及び付加薬剤自体が靖弘の心臓機能に悪影響を及ぼした可能性は認められない。また、輸液速度及び総輸液量は心臓機能及び腎臓機能の程度によつて異なり、これらの機能の低下を認める場合には、その低下の程度に従つて輸液速度及び総輸液量を制限する必要があるが、本件の場合、靖弘に呼吸困難、息切れ、頻脈、浮腫、血圧低下等の症状はなく、また胸部X線像における心臓陰影の拡大と肺血管陰影の増強は特に認められないから、基礎に虚血性心筋症と心肥大はあつても心臓機能は正常であつたと認められ、また、浮腫はなく、尿蛋白は一過性に認められたものの尿比重は正常であり、臨床化学血液検査で尿素窒素、クレアチニン、電解質はいずれも正常範囲であつたから、腎臓機能も正常であつたと認められる。このように心臓機能及び腎臓機能とも正常である場合には、輸液の最大点滴速度は一般に一時間当たり五〇〇ミリリットルとされており、この点は輸液製剤によつても異なるが、プラスアミノ剤の場合には、靖弘と同じ体重六二キログラムの患者に五〇〇ミリリットルを約九〇分で静注することは、点滴速度として不適当であつたとはいえないし、また、一日当たり五〇〇ミリリットルという総輸液量も許容範囲以下であつて、これを九日間連続して行つたとしても、重篤な障害を生ぜしめるおそれはなかつたものというべきである。なお、この点について、証人桶田理喜は、剖検の結果に照らせば、靖弘に対する点滴の速度は同人の心臓状態からして相当速く、量も多すぎたため、心臓の負担が増加した可能性がある旨証言するが、同証言自体、点滴静注の量や速度が靖弘の死亡原因であると断定しているのではないし、むしろ前記認定の心室細動による不整脈を一番可能性の高い死亡原因として疑つているのであつて、これらのことと靖弘が輸液後の症状で胸内苦悶とか苦痛を訴えていた場合という前提を措いた証言であることをも併せ考えると、右証言は前記認定と矛盾するものではない。さらに、心臓機能ないし腎臓機能に低下があつたとした場合には、点滴静注による循環血液量の増加による心臓への負荷増大はあり得るが、この場合でも、負荷の増大は、点滴中か、点滴終了後に最も大きいから、点滴終了後一〇時間以上も経過して死亡するとは考えにくいところであり、結局、点滴静注が靖弘の死亡原因となつたということはできない。

(四)  以上検討したところによれば、本件における靖弘の死亡原因は、急激に発症した重篤な頻脈性不整脈すなわち心室細動あるいは心室頻拍に引き続く心室細動による突然死であるというべきである。

四  被告の過失について

1  心電図検査の懈怠について

原告らは、まず、被告が心電図検査を懈怠したことに過失がある旨主張するが、この過失が認められるためには、被告が心電図検査をすることにより靖弘の前記死亡原因の発生が予見可能であつたといえる場合でなければならない。そして、前記認定の事実と鑑定の結果によれば、靖弘に心肥大及び虚血性心筋症の疑いのあることは、被告が心電図検査を実施することにより、診断可能であつたということができるし、右心肥大及び虚血性心筋症が致死性の頻脈性不整脈の原因となり得ること自体は予見可能であつたとみることができるから、被告が心電図検査を実施することにより、死亡原因の発生を予見することが可能であつたという余地も全くないわけではなく、証人桶田理喜も、本件において、被告が靖弘の心電図検査を行うべきであり、これを行えば高血圧性の心肥大の臨床診断が可能であつた旨証言する。しかしながら、医学的な一般論として当該危険が予見可能であるといえても、それは必ずしも当該具体的な症例における危険の予見可能性と一致するものではないし、危険結果の予見対象は単なる危惧感では足りないことはいうまでもないところである。そして、前記認定の事実と鑑定の結果によれば、不整脈の検査法として心電図、ホルター心電図、運動負荷心電図、超音波検査、核医学的検査、冠状動脈造影、心臓電気生理学的検査などが参考とはなるものの、不整脈発生を予知するための確定的方法は未だ確立されておらず、被告が仮に心電図をとり、これにより心筋梗塞所見及び頻発する心室性期外収縮が認められた場合には重篤な不整脈の発生可能性を予見することが可能であつたとしても、本件では、そのような所見が心電図に記録される可能性は少なかつたということができるし、仮にこのような所見が記録された場合であつても、右重篤な不整脈がいつ発生するかを予測することは、本件診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に照らして、到底不可能であつたといわざるを得ない。そうすると、仮に、被告において、靖弘の死亡原因となつた重篤な不整脈が将来発生することを予見することが可能であつたとしても、それが同人の入院から死亡までの短期間のうちに発生することまで予見すべきことを要求することは、難きを強いるものというべきであるばかりでなく、同人の主訴はあくまでも腹痛のみであつて、高血圧症は認められたもののそれは主訴とは直接関係がなかつたし、動悸、狭心痛などの異常所見もなかつたのであるから、被告としては、靖弘の入院当初においては、まず、主訴についての診断・治療を優先すべきであり、右のような入院の直接の原因が完全に治癒した後、なるべく早い時期に専門医に紹介するというのが、本件当時の前記医療水準の下で開業医がとるべき措置であつたと認められる。

したがつて、本件において、被告に靖弘の心電図検査を行うべき注意義務があつたとまではいうことができないから、この点について被告の過失を肯認することはできない。

2  過度の点滴の施行について

原告ら主張の過度の点滴による過失については、被告による点滴の施行が靖弘の死亡原因となつたものとは認められないことが前記のとおりである以上、これを問題とする余地はない。

五  結論

以上のとおりであつて、靖弘が死亡したことにつき、被告に過失があるということはできず、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠原勝美 裁判官 小沢一郎 裁判官 笠井之彦)

《当事者》

原告 近藤志保子 <ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 上田弘毅 同 黒川辰男

被告 林 雅之

右訴訟代理人弁護士 高田利広 同 小海正勝

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例